今日は全く書くことが思い浮かばない……
そんな日もあるよね。
何かと考えてることはあるんだけど、どうしても言葉になって出てこないようなとき。
あと、考えてることがあまりに突拍子もないというか、受け入れられにくい、読まれにくいって分かってるとき。
自分自身の気持ちや感じたことを他の誰かがどう受け止めるかによって変えられるわけじゃないから、そこのところは本来気にする意味はないけどね。
ブログだからなあ~
ただ、ここってブログだからね~。
小説やら映画やらの作品なんかもそうだけど、
読まれる観られるとかの受け身さ
がひとつの大切な要素になってるもんね。
前にも書いたけど、書くことって時空を超えて意見交換や共有のようなことができる手段だから、
いまも未来も、たったの一人にも読まれなくていいっていうつもりで書くのって、特殊な部類に入ることになる。
でも、案外そういう書き方もよかったりするんだよねーーー。
へーーそんなこと考えてるんだっっ!
とかちょっと面白く感じたり、
私もなかなか大っぴらにはできないけど、同じように思ってたわ!
なんて感じたり。
人間たちよ……
いや、そう考えてくると、やっぱりいかに我々、普段は自分の思ったことを言わないで過ごしてるかだよね。
好き勝手に思ったことを言いましょう、っていう意味じゃなくて、いかに調子を合わせつつ過ごしてるか。
わしは一切歯に衣着せぬ物言いがウリだからな!!
っていう人も、いまみたくその場の状況に応じて反論したりするならば、その状況に合わせているんだから結局同じこと。
批判コメントに反応しちゃうとかもね。
(それがダメっていうのではなくて。)
つまり、我々は自分の思った通りにふるまうことができない存在……なのか???
うん、それもいいんじゃない?
冷めた見方をしてるんじゃなくて、それが本当に人間の性質なら、もうすでに百パーセントそうなんだから、こっちがどうにか出来る話じゃないってことだよね。
状況状況に応じて、影響し合いつつ、何かをやっていく。それが人間。
そのふるまいの中には、
戦争だって、
殺人だって、
不倫だって、
助け合いだって、
チャリティーだって、
いじめだって自己犠牲だって略奪愛だって仰げば尊しだって青春だってお金儲けだって芸術だって、ロマンスカーだってなんだって含まれてくる。
そういうのが人間なんだよね?
ねえ人間たち、これを続けていくのが人間なんだよね?
とりあえず、手を叩こうか
ちょいとお手を拝借……、
パン!
どう? 叩いてくれたかな??
もし手を叩いてくれたなら、その瞬間は少なくとも銃を撃たなかったね……誰かに勝とうとしなかったね……
(いや日本語で書いてるブログだから、銃を持ってる人はあまりいないと思うんだけども笑)
ピース・クラップ(peace clap)
とでも名付けようかな! 平和の拍手??
けど、これくらい通信網も発達した時代だから、日本中、世界中の多くの人が同じタイミングで拍手するのも一応可能だよね。
ふーむ。