差し飲み、一対一トークの面白さ。コミュ力不要論を展開するっ!
こんにちは~、おうじゃですよ~~~~~!
人と話すのって、ただ口から言葉を出せばいいようにみえて、難しいよね。
相手のことを考えて話すとか、そうすると結局自分がどう話そうかばっかり考えてることになっちゃうとか、考え始めると混乱もしてきそう。
そういう人いない?? みんなトーク得意??
逆にめっちゃおしゃべり得意でトークトークトークっっっ!!!! って人もいるかなあ。
おうじゃは一対一で話すことが好きなんだよね。その方が話しやすい気がして。
ってなことで、今日は
差しで飲むこと話すことの面白さ……さらにはコミュ力なんて捨てちゃえ!!
てことについて書いてみるね。
コミュ力がなくて……とか、コミュニケーションのスキルを高めたいのにっ!
っていう人にはいつもと別な視点からのお話ができるかもです。
コミュ力ってな~んだっ??
コミュ力、……「こみゅか」に見えるけど、それはいいとして、コミュ力ってなんぞや??
- 話の中身が面白いのは、中身が面白いんだし、
- その人自身が魅力的なら、その人の魅力を素敵に思うわけだし、
- 声が大きくて聞こえやすいなら、音量や発声の問題だし、
つまりコミュ力って何よ??? 何様よ??
他者と意思疎通を上手に図る能力を意味する
ーWikipedia
とか、
「コミュニケーション力」または「コミュニケーション能力」を略した表現。人との会話や意思疎通などを円滑に行うことができる能力やその程度などを意味する語。
ーWeblio辞書
なんて記述があるね。もともとは言語学の学術用語だったなんてことも書いてある。
そんで、いまでは非言語的コミュニケーション能力と称して、言葉を使わない意思疎通の上手さ的確さなども入ってきているわけだ。
それがどうした?????
いや、もちろんコミュニケーションがちゃんとできるのに越したことはないよ。
おしゃべりしていて楽しい相手は一緒にいても楽しいよね。
また話したくもなるよね。
気まずい無言の時間が流れる相手とは、ちょっと同席は遠慮したいかなぁってなるよね。
それがどうした?????
うまく話ができないと気まずい?
うん、その通りだ。
ちゃんと話せないと、面接に受からない??
うん、その通りかもしれない。
それがどうしたのじゃ?????
それであなたの何かが失われるのか????
ぜんぜんそんなことなくない??
ふつうにそこにいたらいいじゃん。ご飯食べて、お風呂入って、テレビかYouTubeか観て、歯を磨いて寝ればいいじゃん。
ふざけた面接官のことを友達に話したかったら電話しなよ。
口を開くのも辛かったらLINEして。
そんなことぜんぶする気にならなかったら、自分がする気になることをしていればいいよ。
自分自身でいることをさまたげてない?!
おうじゃが「コミュ力」のことでいちばん危ないと思うのはね、そこに
何かゴールが設定されてること
なんだ。
基本はコミュ力が高いことがいいことで、それほどじゃないならそのレベルなりに上手にコミュニケーションできるといいね、ってなってること。
そうなると、その基準に足りているか不足しているかっていう話になってくるじゃん。
もう僕らは「コミュ力」を抜きにして誰かと関われないのかな……
逆に言うと、コミュ力が無いってことがいきなりイコール負のポイントなんだよね。
学校でも仕事でもサークルでも、コミュ力がちょっと……と感じている人は、スタート地点がマイナスから始まる。
それを克服する話になる。
(そういう見方じゃない人々や世界があることも分かってるわよん!)
コミュ力っていう物差しを取り出すことで、ある人たちがふつうにその人でいるのをさまたげかねないんだよね。
これってちょっとバカバカしくない????(語尾上げて!)
だって「コミュ力」っていう単語を聞く前からきみは生きてきた!
この記事は「コミュニケーションが苦手だ」と感じる人をとくに意識しているんじゃないよ~。
でもね、仮にいま読んでくれているあなたがそうだとしたら、コミュ力という指標を知る前からあなたはふつうに生きていたよね???
そこではもちろん、コミュ力と呼ばれるものに由来して物事の出来不出来があったかもしれない。
トークが苦手過ぎてまったく恋人ができなかったぜ・・・・とか。
受験や就活の面接練習で「もっと話せないと無理だぞ!」と言われたとか。
それでも、そういう言葉を聞く前からきみは生きていたじゃないか!!!!!
小さい頃は、口下手だとか無口なんだとか、そんな特徴を悪いものを思ってなかったでしょう???
コミュニケーションになっていないことなんて頻繁
あとね、人間誰しも自分の好きなように聞いてる。
いっくら配慮に配慮を重ねて関わっても、相手は自分の理解できるように聞いてるのがほとんどよ。
こっちだって、相手の話を聞いてるつもりで、自分に分かる範囲で理解して聞いてるよね。というかそれ以外に難しくない??
ちょっと実験してみるね!
おうじゃはトイレに行くと宇宙空間に投げ出されておぼろじごたこぶてんし、帰ってこない。
……トイレから宇宙空間につながってるところをファンタジー的に理解したり、
その次のひらがな連発は「もう意味わからん!」「バカかこいつ!」って思ったりするでしょ??
優しい方は、こいつは何を言いたいんだろうか? って考えてくれたりするよね。
そういう反応を自然とやってるじゃん~~~~ってこと。
差し飲みの魅力
そこで、差し飲みの魅力に移るわけよ~~~~。
一対一だと、こっちがしゃべるかあっちがしゃべるかしかないじゃん??
それ自体がちょっと焦っちゃうぜ! っていうのも含めてのことね。
はあはあっ、何を話したらいいんだーーーーー!
って思ったとしても、それに応じた行動が出てくるからそれはよし!
しばらくうつむいていてもよし!
叫んでもよし!
いったんおトイレに退避してもよし!!!!
で、少しずつでも会話が出てきたら、それぞれのペースがそこに乗ってくるから、自分と相手の間合いができてくる。
お茶とかお酒とかを挟みながらだと、ひと口飲む間なんてのもあるから、こっちがしゃべるのも中断される。
相手が飲んでるからって、話の途中ならこちらから無理に何か言うこともない。
ん~~~~、なんか分かってもらえるかしら?!?!
ここに
ふたりの距離感
が絶妙に表現されていないかしら~~~。
そういう距離感が「コミュニケーション」じゃないだろうか???
って思ったりもするんだよね。
仕事にせよ勉強にせよ遊びにせよ、何かやることが前提にある場合ばっかりでしょ??
次の企画のための話合い、旅行をどこに行こうか決める集まり、用件があってかける電話。
差し飲みやお茶みたく、そういうのが脇に置かれた状態での関わりが気持ちいいよな~って!
これが三人以上だと、やっぱり自分と相手以外に頼る相手がいる気がしない??
全員で黙っちゃったらかなり沈黙の空気だし。
それだけ「場の空気・雰囲気」が発生してるってことだよね。
で、場を和ませるとか盛り上げるっていうのは、そもそものコミュニケーション力とは何かちがってこないだろうか?????
コミュ力完全不要論を展開するっ!
そんなわけで、ほんとうに自分の気持ちを表現して、互いに意思を疎通するためには
コミュ力は完全に不要!!!!
だと主張するっっっっ!
情報を伝達したいだけならば、Google先生などのプログラムに任せなさい。
映像を作りたいなら、YouTubeの勉強をしなさい。
でも、自分をそのもの表現することは、そういうツールの前にあることなんじゃないかな~~~。
当然、コミュ力とやらの前に、それぞれの人の表現は存在する。
だってあなたはそこにいるから!!
……なんだけど、実際は抽象的じゃないいいいいぃぃぃぃ。
いまこれを読んでくれたみんな自身のことなんだわん!
うむ、今回はどういうわけかこんな話!!!!
聞き流してね☆
ここまで目を通してくれた方、ほんとうにありがとう!!