他人に惑わされないで生きるためのアイデア3選【福話術16】
最近では多くの人がそれぞれに情報を発信し、どれも説得的に見えたり正しく感じたりします。
本や口コミやYouTubeなどの媒体でも、整った形で提示されると「そうなのかも」という気持ちになるものです。
しかし、本当にどの情報が正確なのか、自分にとって、世の中にとって有益なのかを判断することは容易ではありません。
誤った情報も多いから不安になるし、情報が少なすぎても落ち着かないし……。
管理人は、福話術者として各自が自分自身をそのままに表現するのを応援するという目標掲げ、当サイトで活動しています。
そこで、第16回となる今回は、
本当は他人に惑わされてなどいない
ということについて、確認してまいります。
どんな情報も発信者の権威は関係がありません。私たち受け手がその情報に力を与えるか、そうでないかの違いがあるだけです。
この記事が皆様がさらに自分自身に依拠し、自分らしさをそのまま表して生活をするヒントとなれば幸いです。
人が発信する理由ー影響を与えたい
どうしてこの世界には意見や情報を「発信」する人々が存在するのでしょうか。
- 自分の名前を世に知らしめたい
- 自分の持っている知識や経験を世の中のために活かしたい
- 楽しいから・苦しいから
などの理由が考えられますね。順に確認してみましょう。
名前を知らしめるために発信する
現代ではSNSやYouTubeなどが急激に発達し、自分の名前が知られれば知られるほど、例えば金銭などの利益を得ることができます。
そうでなくとも、有名であることそのものに価値を見出す人もいます。
わしは坐禅界隈ではちょっとした人気者だぞ。何しろ80年もの間修行してきたのだから。
ビジネスを進めるうえでも、自分や自分の会社がどのくらい世間に知られているかは大事な要素でしょう。
知識や経験を活かすために発信する
自分の知識や経験、スキルを世の中の人々へシェアする、活用してもらうために発信する場合もあります。
どの道でもプロフェッショナルの技術を身に着けた人は、ネット上で発信することで、直接相手と関わらずともその技術を提供しているわけですね。
芸能人はもちろん、身体の治療家やメンタルケアの方々、主婦の方など自分のスキル、得意なことや生活に基づく知見などを発信する例が増えています。
楽しい・苦しいなど感情のはけ口として発信する
さらに、自分が楽しい体験をしたり、苦しいことがあったりしたことなどを知ってもらいたくて発信することがあります。
この性質はTwitterなど手軽な媒体に顕著で、日々の面白いことや辛いことをシェアして、互いに楽しんだり鼓舞したり慰めたりします。
わたしはそういうツイートを見たら心の中で王冠をかぶせてあげてるよ。「みんな頑張ってるね」って!
ただ、感情的な表現や言葉が使われることも多く、炎上など衝突の原因となる場合もあります。
そのやり取りなどを無関係の人が目にして、気持ちが暗くなったとか、同じように怒りが湧いてきたとか、それぞれなりに影響を受けます。
ここまで見てきた3つをまとめれば、人は「影響を与えたい」から発信するのだといえそうです。
惑わされると感じるのは相手に「権威」を与えているから
では、発信する側が「影響を与える」ことを目指しているとして、なぜ私たちは他人(やその言葉)に惑わされると感じるのでしょうか。
電線のカラスがいくら鳴こうと、私たちは
「あぁ……あのカラス本当に鳴いてるのか分かんない。このまま何もしなくていいのかな。どうしよう……?」
などとは言いません。
けれど、著名人や友人などが「ダイエットのためには毎日水を2リットル飲むといいんだって!」と発言すれば、そうなんだ、やってみようかな、と思ったり思わなかったりするのです。
上司に叱られれば、
「私のどこが悪かったのかな……」
と落ち込むのです。
このように感じる大きな理由は、私たちが発言者に権威を与えているからです。
その人物の発言なら、真偽が不明でも多少は聴いてみたり、試みてみたり、他の誰かに伝えたりします。
反対に、カラスが電線で鳴いていたことを友人に話す機会はめったにないでしょう。
「権威」とは精神的服従のこと
つまり、私たちは権威があると認識している人物・物事に対して反応したり服従したりしがちだということです。
子どもは親の言うことに基本的には従いますし、私たちはたいてい友達の話を疑いません。
政治家さんに権威が備わるかどうかは微妙な時代ですが、「専門家」と肩書のある人物の発言は流布しやすいです。(不思議なことに、その人物が専門性を持つ事柄以外のトピックでも)
これらの根っこにあるのは、私たち自身が自分で考えるよりも「権威」ある存在が示した基準に従いたがっているということです。
わしの師匠が言ったんだ「80年坐れ」と。「とにかく80年だ」と。
(※もろもろフィクションです。)
私たちは他人に惑わされているのではありません。他人に依拠しようとすることによって、自分で自分を惑わしているのですね。
日本人についての仮説
個人的にとりわけ日本人は、社会や世間の目、ひいては他人一般を「権威」としてとらえる傾向が強いとみています。
だからマスクをするかしないかが気になるし、誰かとすれ違うときに何となく視線が気になることがあるし、インフルエンサーと同じファッションをしてみたくなる。
これらの良し悪しではなくて、私たち自身がこうした心の働きを持って生活している面があるという点は意識してよいと思います。
惑わされないで生きるアイデア3選
それでは、他人に(正確には自分に)惑わされずに生きるためにはどんな方法があるでしょうか。
外的・物理的な条件を変更しても、他人や出来事に対する私たちの感じ方こそが問題となる場面なので、本質的な対策ではありません。
お金持ちでもエライ人にはへこへこすることがあるし、貧しくても全然へつらわない人もいます。
- 他人のことを「偉い」「権威がある」と思うのをやめる
- 自分に「権威がある」と思うのをやめる
- 自分の心の働きをよく見る
などが考えられますね。一つずつ見ていきましょう。
他人に「権威」があると思うのをやめる
あえて他人をエライと思うようにしたり、そこに権威を感じるようにしたりする人はあまりいません。
けれど、無意識に「他の誰かに従うべき、そういうものだ」と思い始めるという点こそがポイントです。
いつもテレビで見るあのコメンテーターさんが言っていることだから「まあそういうものなのかな」。
昨今よく使われる表現に「思考停止」というものがありますけれど、誰も望んで思考停止になろうとはしていません。そういう方向の頭の使い方になりがちな世界だということです。
何度も言われたことは正しいように感じるし、きれいにそれらしく提示された情報はまさに「それらしく」聞こえますね。
テレビでもSNSでも広告でも、この方向へ私たちを導くことを主眼としているとさえいえるでしょう。
このように他人に「権威」があると思わざるを得ない構造の社会においては、まずはそれをやめることが対策です。
自分に「権威」があると思うのをやめる
他人に権威があると思うのをやめるということは、自分にも権威があるなどと思わないということです。
「権威」とは広い意味で他者へ影響を与える力ですから、自分に権威があるならば、自分が他人に影響を及ぼします。
これは自分が他人を惑わす側に回りかねないということなので、あまりうれしくありませんよね。
また、自分に権威を感じ始めれば、それと適合しない相手を批判的にとらえがちにもなります。そのような相手に対してこちらが行うことは「説得」や「論破」です。
たぶんそのような人物を見かけたことのある方もいるはずです。
心の働きをよく見る
したがって、3つ目のこの対策が一番大切といえます。
他者や情報、物事と触れるときに、私たち自身の心がどのように働いているのかをよく自覚することです。
エライ肩書を持った人物が発言するのを目にするとき、何となく「それらしく」感じていないか。反対にはじめから胡散臭く感じていないか。
見るべき実績も経歴もない人物が言うことをハナから否定していないか。
心の中で誰かに「権威」を与えたり奪ったりしていないかを自分で知れば、私たち自身でそれを手放すことができます。
難しければ、自分の振る舞いを確認するのでも十分じゃ。
エライ人の前で低姿勢になり、部下の前では胸を張る。そんな自分の振る舞いに気付くこと。
まとめ
今回は他人に惑わされないために私たちができることを確認してみました。
- 本当は私たちが自分自身を惑わしている
- 他者に「権威」を与えて拠りどころにしがち
- この心の働きをよく自覚することが大切
他人に惑わされているのではなく、私たちが他人に「権威」を与えて、拠りどころにしているがために惑わされていると感じます。
したがって、自分の心の中で「権威」を作り出している働きをよく見ることが大切です。
お互いに権威を外してこそ、それぞれの発信する情報や振る舞いの本質に触れることになるので、その情報などが自分や世の中にとって有益なのかをきちんと判断できるというわけですね。
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