他人が優れて見えるのは「他人=自分+その人」だから
このカテゴリーでは、東京大学卒業、司法試験合格、そして子どもたちと一緒に学ぶ「現役」家庭教師である管理人が、教育について大切と考える内容を記述しています。
教育を起点として、人間生活全般にかかわる事柄についてできる限り端的にまとめていますので、どうぞお気軽にお読みいただければうれしいです。
今回より、改めてYouTubeチャンネルを始動いたしましたので、ご報告しますね!(チャンネル主の名前が違うのは諸事情です笑)
いただいた質問に回答しながら、お子様のことや学び、人間関係などの土台にかかわる事柄について、皆様と一緒にお話を重ねてみようという趣旨となっております。
もしよろしければ、ぜひご覧くださいませ☆
今回のお題は親御さんからの質問っていう風に捉えてもよいですし、お子さんからの質問という風に捉えてもよいのですけれど、
『自分より他の人が優れている』と感じてしまう、
何か劣っていたり、自分がダメな人間なんじゃないかと思っちゃう
というものです。
詳しくは上記YouTubeの中でお話ししていますが、以下でも簡単にまとめておきますのでご都合のよろしいほうをお楽しみください☆
自分が持っているものは当然他人も持っていると感じる
まず考えられることとして、私たちが他人を見るとき、無意識のうちに自分の要素に加えてその他人を評価していることが挙げられます。
自分がテレビゲームが得意だとして、かりに他の誰かが野球を得意としている。
その場合に、私たちは知らず知らず、自分が得意なゲームという事柄を前提としてその野球少年をイメージしている例があります。
つまり、その野球少年だってゲームなんかできるだろうし、または、野球がそれだけできるならゲームなんてどうでもいいというような感じですね。
わしは坐禅しかしていないからな、その気持ちはよくわかるぞ。何しろ誰でも座ることはできるのじゃから……。
この↑師匠の言葉にもみられるように、自分が取り組んでいる事柄に対する自分自身の評価という面も関わってきますね。
その点についてはまたいずれ触れる機会があると思います。
みんな携えているものが違っている
テストの点数で比較する必要も、技術の面で比較する必要もありません。
なぜなら、私たちはみんな携えているものが違うからです。その尺度さえ異なっているので、そもそも比べることが難しいはずです。
誰もがいろいろな要素を持ち合わせているから、誰かが誰かより優れている点があるのも当然の事実です。
けれど、私たちを形作る要素は千差万別だから、そのうちのどれかのみを比較することにあまり意味はないわけです。
自分を正しく知ることで「生きやすさ」が生まれる
他のところに目をやらなくても、自分自身に必ず何かがあります。
それを知ることで、自分を大きく見せたり必要以上に小さく見ることもなくなっていくと思います。
地球で生きている仲間同士として、それぞれに自分の役割を楽しんでいるのだという世界観がさらに広がっていくことでしょう。
こうした理解を自分自身において深めることは、私たちのできる「教育」のひとつです。