最年少・最年長病を克服するための教育:自分の「想定」を知ること
このカテゴリーでは、東京大学卒業、司法試験合格、そして子どもたちと一緒に学ぶ「現役」家庭教師である管理人が、教育について大切と考える内容を記述しています。
教育を起点として、人間生活全般にかかわる事柄を扱っています。
できる限り端的にまとめていますので、どうぞお気軽にお読みいただければうれしいです。
おそらくかなり昔からだと思いますが、史上最年少で○○賞を獲得したとか、史上最年長で□□を成し遂げた、などというニュースがよく報道されます。
あの若さで……。 あんな歳で……。 実に見事じゃな!
(わしだって坐禅歴80年じゃぞ! 注:当サイトのキャラクター設定です)
こう感じる人も多いでしょうけれど、それでは「3歳児が初めて単独で富士山登頂に成功!」という報道ならばどうでしょうか。
ここには、私たちがどうして最年少・最年長病に罹っているのかを探る鍵がありそうです。
最年少・最年長病
最年少の市長・最年少の知事に始まり、アイドルや教授など近頃どの業界でもよく耳にするのが、史上最年少で何らかの賞賛すべき結果・地位を獲得したというものです。
スポーツの世界は報道される機会が多いこともあって、これを読んでくださる方も思い浮かぶ選手がいるかもしれません。
しかし、なぜ最年少や最年長で何かを成し遂げることがこれほど褒め称えられるのでしょうか。
いや、だって他の人はもっと時間がかかって同じことをやるんでしょ? あと、まだ若いのに他の人と同じことができるのってすごいじゃん。
タイパ(タイム・パフォーマンス)の発想
ここにひとつ含まれているのは、より少ない時間でより大きな成果を上げることが優れているという「タイパ(タイムパフォーマンス)」の発想です。
スポーツの例を続けるなら、想定される選手生活の期間のうち、より前半で偉大な成果を上げるほど偉大な選手であると認定されます。
別の角度から表現すれば、同じ期間の練習をしている者同士ならば、より大きな結果を残すほうがすばらしいという発想だともいえます。
このように、より少ない時間でより高い効果を求めることの本当の趣旨は、条件が同じならばとにかくより大きいものが欲しいということです。
勝手な意外性
反対に、最年長でエベレストに登頂したとか、困難な事柄を達成したという場合もしばしば賞賛されます。
こちらはむしろ「タイパが悪い」(?)といえそうなのに、どうしてなのでしょうか。
ここに含まれているひとつの発想は、本来ならばそんなことはできないはず(と私たちが想定している)の人が、その想定を超えて成し遂げたことへの驚きです。
これがあくまで想定に過ぎないのは、最年長かそれに類する年齢で一定の事柄を成し遂げている方のインタビューなどから分かります。
すなわち、それらの人々のほとんどが「年齢を意識することはない。自分はこれまでやってきたことを続けているだけだ」と語るのです。
本人に関係なく、私たちが勝手に「この年齢ならこんなことは無理だろう……えっ! できるんだ!」と驚いているというわけですね。
この部分は自分が歳を重ねていく将来をイメージしやすくなり、希望を持てるという形で、モチベーションアップにつながる面もあります。
想定の罠に落ちないこと
以上から、もし私たちが自分自身の人生を生き、また子どもたちがそれぞれ自身の道を歩むのを支援することを本当に望むなら、自分が常に「想定」という枠をもって物事に当たっているのをはっきり知ることが大切です。
想定は驚きや感動をもたらし、勇気をはぐくむ場合も多いですが、どこまで行っても想定対象の実際とはかけ離れています。
想定があることによって、その想定に対して成果がどの程度かを計るパフォーマンスという基準を立てることが可能となるのです。
自分の人生に対する想定、子どもの将来に対する想定、社会に対する想定など、各々がどんな想定をして、どのように世の中を見ているのかを理解する手助けをすることは、少なくとも誰もができる「教育」と呼んで差し支えありません。