【福話術11】数字が好きすぎる私たち|人生はパラメーター?
ようこそいらっしゃいました!
当サイトメインコンテンツ【福話術】の第11回目です。
今回取り上げる内容は、
ぼくもわたしも数字大好き❣
前回の記事:「お金」が消え去る日【頭の体操】とも関係してくると思いますが、いかに私たちが数字を好んでいるかを考えてみましょう。
毎度言っているがな、わしは80年もの間坐禅を続け、あらゆる物事を見抜く……(⇒詳細は「盛る」ことが簡単すぎて「生のもの」見えないものよ私たち)
また始まった!それでは早速本編にまいりましょうっ!
数字といえば……?
普通に生活していると、もはや意識しないほどに「数字」は私たちの生活になじんでいます。
お金のことはもちろん、時間の計測や日時の決定など、むしろ数字がなければ生活のほとんどが成り立たないといってもおかしくないかもしれません。
いくつか取り出してみましょう。
能力系
まずは自分や他人や道具や物事、キャラクターの能力を測ったり示したりするうえで数字(数値)は不可欠ですね。
管理人の身長は175㎝で、体重は65㎏くらいかな……?
わしが賽銭箱から受け取る年収は大体1500万円くらいで、坐禅のための家や別荘を借りるのに月15万円くらいで……(注:完全なフィクションです)。
身体のサイズもそうですし、人が得る金銭も数字で表されますし、資格試験にせよ面接にせよ、業務処理能力や他者からの「いいね」の量にしても、数字で表されないものはこの世にないとさえいえるでしょうか。
ゲームキャラクターの力とか魔力とかも当然数字で表示されます(というより、それらデジタル表現のすべてが根本的に0と1の組み合わせですね)。
財産系
上でもお金の点には少し触れましたけれど、現代において数字が影響力を持つという意味で一番目立つのは財産・資産ひいては経済に関係する場合でしょう。
誰がどのくらいのお給料をもらっていて、それを支払っている企業は資本金がいくらで負債がいくらで純資産がいくらで……だからこの企業の経営がどの程度健全なものかは○○という数値で表すことができる。
同じように、国の予算がこのくらいを見込んでいて、実際の歳入はこれくらい、歳出がこうで決算はこのようになった、したがって△△という省庁の■■部門の人員削減を実施して○○円を節約しなければならない。
我が家は毎日ヤクルトを飲みたがる人がいるのだけど、ヤクルト1000にしたら予想以上にお値段が張ってしまった。
やはりヤクルト400くらいがちょうどいいかな。
人の年収がいくらなのかによってその人を測るという風潮も、場所や状況によってはいまだに根強いところです。
メンタル系?
以前から試みられていたことですが、最近では私たちの内面についても数値で評価する方向性が広く現れてきています。
まずは内面と言い切れない範囲でいえば「職務適正診断」や「向いている仕事探し」などの名称でアンケートに答えるタイプ。
これらは質問に対して5段階ほどの数値に分けられた選択肢で答えていくことによって、自分の性能や性向が見えてくるというものですね。
さらには純粋に人の内面を対象とするものとして、ごくごく身近な例では「あなたの○○度診断」というクイズやアプリもたくさん存在します。
こないだ「あなたのキノコ度診断」をやってみたら、99パーセントという数値を叩きだしたぞ!ふははは!
(管理人注:坐禅でずっと座っているからなのかな……?)
精神の分野で科学的な研究・臨床をおこなう際には数値で把握していくことは不可欠でしょうし、もちろんこうしたメンタルについての数値化がよくないというわけでもありません。
数字は尺度・評価
しかし、立ち返って考えてみると、数字とは何なのでしょうか?
今、自分の目の前にあるキーボードには、数字のキーが10個あります。
手元にはマウスが1つあり、もっと横にはコーヒーの入ったカップが一つと、クッキーが2個あります。
……だから何?
という反応が、数字がどういうものかを示唆していると思うのです。
身の回りのものを理解するための尺度
つまり、数字は数えるだけでは意味を持たないし、数えて意味を持たせるためには必ず指標・枠組みが必要です。
「身長」という枠組みを用意して計測するから、自分が175㎝であの人は199㎝だと分かります。そこへ「高い低い」という尺度を入れるので、自分があの人より背が低い、またはあの人が自分より背が高いと分かります。
坐禅中のわしの身長は座布団7枚ほどで、立ち上がれば座布団30枚ほどだぞ。
と言われても、すぐにはイメージが湧かないでしょう。
座布団1枚の厚みを何となく考えて、(1枚あたりの厚さ)×(枚数)という計算をするのではないでしょうか。
このとき、座布団1枚の厚さだけ測っても意味を持たないし、30枚でどのくらいの高さかという数値も、それだけでは意味を持ちません。
したがって、数字も数値も、計測すること自体に意味を生み出す力はなくて、私たちが事柄を理解するために用いるときに意味を持つということになりますね。
数字の前に何があるのか
数字がそれ自体では意味を持たないとすれば、それよりも前に何かがあるのでしょうか。
身長が175㎝である前に、管理人の身体は管理人の身体として、その大きさでここに存在しています。
財務諸表から見ると会社の経営状態は健全ではない……というその前に、その会社へ身体を運び(またはリモートで)、そこで頭脳や身体、心を使ってお仕事をする社員さんがいます。
そのお子さんが通知表を持って帰ってきて、オール3だったけれども、お子さんは目の前にいておやつを食べたり勉強したりゲームをしたりしています。
キノコ度が99パーセントのダルマでさえ、そっと見つめれば実際にどこかの洞穴で坐禅を組んでいるのです。
私たちが現実に生きるうえで、本当は、数字はどのくらい関係しているでしょうか。
自分そのものの表現へ
このように見てくると、数字は私たちの生活よりも前にあるわけではなく、私たちが普通に生きている事実が前提だということが分かってきます。
そうであれば、数字ばかりを求めたり、数字によって私たち自身を評価するというのは本末転倒だということになりますね。
- 俺は年収3000万円を目指す!
- 私は身長190㎝を目指す!
- わが社は年商10億円を目指す!
など、前回の記事でも似たような例を挙げましたが、よく見つめると奇妙な感じがしませんか。
もしそのようにお感じになる方がいるとすれば、それは
「そんでどうするの?」
という気持ちがどこかに生まれるからだと思います。
すなわち、上のような目標の提示の仕方では、数字の手前あるいは前提にある「その人自身が生きること」という部分がよく分からないのですね。
逆に言えば、「数字」の持つ意味はその程度のものだということです。私たちが上手に活用するべきものであって、より以上の何かではないということがいえるでしょう。
どう生きるか
前回と今回の内容は、いかに私たちがお金や数字にとらわれているか、それを自覚しつつ、どのように生きるのかという視点を私たちに突き付けますね。
改めて、一定の数字の達成を目標に生きていくことは悪いことではありません。
その背後に自分自身がどのような価値を見ているのか、外観上の数字を通して実際に達成されること、目指すことはどんなものなのかを意識することが大切だと考えています。
わしが坐禅をしているのはな、何かを達成するためではない。坐禅自体がスタートであり、ゴールなんじゃよ。
まとめ
私たちの生活と密接に結びついている「数字」についてみてきました。
ここまで確認してきたことは、「資格」や「賞」など私たちが自分の外側で獲得するいろいろなものに応用することができると思います。
経験のある方が多いかもしれませんが、数字・資格・賞などを目標として生きると、それが達成された場合や達成できないことが確定した場合、大変空虚に感じるものですね。
けれど、これは同時に、表向きそういった外側の指標に向かって努力できる力があることの証拠でもありますから、やはりその原動力の根っこを自分自身でもっと理解してあげることが大事でしょう。
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