困っている人を助けられなかったのが心苦しいのだけれど……
このカテゴリーでは、東京大学卒業、司法試験合格、そして子どもたちと一緒に学ぶ「現役」家庭教師である管理人が、教育について大切と考える内容を記述しています。
教育を起点として、人間生活全般にかかわる事柄についてできる限り端的にまとめていますので、どうぞお気軽にお読みいただければうれしいです。
改めてYouTubeチャンネルを始動いたしましたので、ご報告しますね!(チャンネル主の名前が違うのは諸事情です笑)
いただいた質問に回答しながら、お子様のことや学び、人間関係などの土台にかかわる事柄について、皆様と一緒にお話を重ねてみようという趣旨となっております。
もしよろしければ、ぜひご覧くださいませ☆
今回のご相談内容は、
目の前で転んだ人を助けられなかったのが心苦しい、
無視してしまったのが申し訳ないと感じた
というものです。
詳しくは上記YouTubeの中でお話ししていますが、以下でも簡単にまとめておきますのでご都合のよろしいほうをお楽しみください☆
困っている人を助けられなかった……!
今回の相談者の方は、目の前で転んだ人がいたのにも関わらず、手を差し伸べることなく通り過ぎてしまったことを後悔なさっているようです。
自分が冷たい人間だとか、その転んだ人からどう思われただろうかということが心に浮かんでいたのでしょう。
わしが転んだらぜひ助けてくれ。ダルマだから一度倒れたら自分では立ち上がれないのじゃぞ。
人によるとは思いますが、相手が自分自身でその状況に対処できそうなとき、手助けをした方がよいのかどうか悩むことはありますよね。
誰もが自分のことで手一杯
ここで大切なポイントは、私たちの誰もが自分のことで手一杯だということです。
転んだ人はすでにイレギュラーの状態にいますから、そこから通常の状態に復帰する(立ち上がる)ことで手一杯です。
それを目撃した私たちも、その場面に立ち会うためだけにその場に居合わせることはないでしょうから、程度の差はあれ何かをしている途中です。
お買い物に行く途中、お子さんを迎えに行く途中、通勤通学の途中、その他いろいろですね。
何かの途中なのですから、その何かに取り組み続ける必要があり、手を差し伸べることができない方も多いことでしょう。
お互いに気に病むことはない
このように、私たちの生活にはさまざまな場面が現れますが、それぞれに自分自身の取り組むことに取り組んでいます。
あくまで私たちはお互いに自分自身を扱う以外にないのだと思います。
自分にできたこと、できなかったことをあまり気に病むことなく、地球で生きている仲間同士として、協力が必要なときに協力すれば十分ではないでしょうか。
こうした理解を自分自身において深めることは、生きやすさをはぐぐむ「教育」のひとつですね。